丸山ワクチンが正式承認されなかった背景には、当時の医学界における評価基準と薬事行政をめぐる深い溝が存在します。1976年にゼリア新薬が製造承認を申請した際、社会的な熱狂とともに承認を求める大規模な署名運動が巻き起こりました。しかし、1981年に当時の厚生省中央薬事審議会が下した結論は「有効性が確認できない」とする不承認の判断でした。
不承認に至った最大の要因は、当時の抗がん剤評価基準が「腫瘍の縮小率(客観的奏効率)」を絶対視していた点にあります。丸山ワクチンは宿主の免疫を介してがんの進行を抑え、延命効果をもたらすアプローチであったため、短期間で腫瘍を劇的に縮小させる化学療法剤のような数値を提示しにくかったのです。臨床データの統計学的処理や二重盲検試験の運用をめぐり、学会の主流派と開発側の見解は決定的に決裂しました。
しかし、投与を熱望する数万人規模の患者運動を受け、国は事実上の救済策として「研究用治験薬」としての継続供給を例外的に認めました。その後、ゼリア新薬は同一成分の製剤を「アンサー20」の名で再申請し、1986年に子宮頸がんの放射線療法に伴う白血球減少抑制薬として承認を取得しています。抗がん剤本体としての承認は得られなかったものの、放射線治療の副作用軽減薬として医療保険の枠組みに入ったという複雑な経緯を辿っています。