地方局とはいえ、テレビ局のアナウンサーは高収入かつ社会的信用も極めて高いエリート職です。周囲の誰もがそのまま局の顔としてキャリアを積み重ねていくと信じて疑わなかった中、西村さんは入社からわずか3年、2011年3月をもって広島ホームテレビを電撃退職しました。
この元アナウンサーから芸人への転身理由について、西村さんは過去のインタビューやテレビ番組で胸中を率直に告白しています。
「もともと学生時代からお笑いが大好きで、大学時代もお笑いサークルで活動していました。一度は就職という形で社会に出たものの、心の奥底にあった『自分の言葉で日本中を笑わせたい』という情熱の炎が消えることはなかったのです」
背中を決定的に押したのは、2011年3月に発生した東日本大震災でした。報道の最前線に立ち、未曾有の災禍を目の当たりにする中で、「人生は一度きりしかない。いつ何が起きるか分からない世界で、後悔のないように本当にやりたいことに命を燃やしたい」という強い衝動が湧き上がったといいます。
もちろん、周囲からの反発は凄まじいものでした。厳格な父親からは勘当寸前まで激怒され、局の上層部や同僚からも「正気か」「絶対に後悔する」と引き止められました。しかし、西村さんの決意は揺らぎませんでした。退職後、単身上京した西村さんは吉本興業の養成所であるNSC東京校に17期生として入学。同期となった相方の「きょん」さんと出会い、コンビ「ラフレクラン(後にコットンへ改名)」を結成したのです。