1945年春、太平洋戦争の戦局は最終局面を迎えていました。米軍が沖縄本島に上陸を開始する中、大本営海軍部によって発動されたのが「天一号作戦(菊水作戦)」です。その中核を担ったのが、戦艦大和を旗艦とする第二艦隊の水上特攻でした。
作戦の骨子は、制空権を完全に掌握された海域を突破して沖縄へ突入し、自らを浅瀬に座礁させて「陸上砲台」として敵上陸軍を砲撃、最後は乗組員が陸戦隊となって突撃するという、極めて生還の可能性が低いものでした。計画段階では、作戦自体の実効性を疑問視する声も艦隊内部に根強く存在していました。
第二艦隊司令長官を務めた伊藤整一中将は、航空支援のない水上艦突入が極めて困難であることを熟知しており、当初は部下の命を無為に散らせる作戦に強い難色を示しました。しかし、連合艦隊参謀副長から「一億総特攻の魁(さきがけ)となってほしい」という趣旨の説得を受けると、静かに作戦を受諾。「死に場所を与えられた」と受け止め、全軍の指揮を執る覚悟を固めたと当時の記録に残されています。
4月6日夕刻、大和と軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦8隻からなる第一遊撃部隊は山口県徳山沖を出撃。これが日本海軍にとって最後の艦隊出撃となりました。