二人の関係性を紐解く上で、それぞれの歩んできた経歴の落差を無視することはできません。陽明学者として昭和天皇の終戦の詔勅推敲に関わり、吉田茂や佐藤栄作、中曽根康弘に至る歴代首相の指南役を務めた安岡正篤は、まさに国家の精神的支柱とも呼べる重鎮でした。私欲を嫌い、政界の表舞台に出ることなく黒幕として敬意を集めていた孤高の知識人です。
対する細木数子は、波乱万丈な経歴の持ち主でした。赤坂や銀座でクラブを経営しながら政財界・芸能界の有力者と太い人脈を築き、莫大な借金トラブルを解決してきた実力派の興行師・実業家という横顔を持っていました。銀座のクラブ時代に培った人心掌握術と人脈構築力は卓越しており、1980年代初頭、易学や鑑定の世界へと本格的に舵を切り始めた時期に安岡正篤の存在に目をつけます。
二人の馴れ初めの経緯は、1983年春、細木数子が共通の知人を介して安岡正篤が主宰する勉強会「郷学研修所・日本農士学校」の支援や出版事業の相談を持ちかけたことに始まります。当時、安岡正篤は長年連れ添った妻を亡くしており、高齢による心身の衰えが目立ち始めていた時期でした。細木数子はその懐に巧みに入り込み、身の回りの世話や健康管理を名目に急速に距離を縮めていきました。