立川談志は、かつて日本テレビの国民的番組『笑点』の初代司会者を務め、大衆的な名声を極めた。しかし、彼が真に渇望したのは大衆受けの軽口ではなく、人間の業の肯定たる古典落語の再構築だった。1983年、真打昇進試験のあり方を巡って落語協会と決定的な対立に陥り、一門を率いて集団脱退。落語立川流の旗揚げという演芸界のクーデターを断行した。
談志が弟子たちに突きつけた条件は冷徹極まりないものだった。寄席という既成のシェルターを失った弟子たちは、自力で客を呼び、古典落語の技術のみならず歌舞伎や講談、都々逸といった諸芸をマスターすることを義務づけられた。「落語とは人間の業の肯定である」という談志のテーゼは、弟子たちにとって生きるか死ぬかの命題であり、その精神的格闘こそが立川流特有の研ぎ澄まされた芸風を生み出す原動力となった。