大西瀧治郎という人物の歴史的評価は、今なお二極化しています。一方は「人間を兵器として消費する非人道的な戦術を生み出した張本人」としての否定的な評価、もう一方は「自らの決断の罪を一身に背負い、誰よりも過酷な死を遂げた真の責任者」としての評価です。
軍事組織論および心理学的な観点から見ると、大西の行動は「究極の自己清算による組織責任の引き受け」と解釈できます。近代組織のリーダーの多くが責任を回避し、曖昧な言葉で過去を清算しようとする中、大西は「部下の死」に対する全責任を自らの肉体と命で贖いました。
しかし、どれほど見事な自決を遂げたとしても、失われた何千人もの若者の未来が戻るわけではありません。大西の生涯が現代の私たちに突きつける最大の教訓は、「リーダーが命を懸けて責任を取らなければならないような破滅的状況に、組織を絶対に追い込んではならない」という点にあります。