滝田栄の経歴は、日本の演劇界・テレビ史におけるトップランナーそのものでした。中央大学中退後、文学座附属演劇研究所を経て劇団四季に入団。『ジーザス・クライスト=スーパースター』などで頭角を現すと、1979年の大河ドラマ『草燃える』の伊東祐之役、1981年『女太閤記』の前田利家役で強烈な印象を残します。そして1983年、大河ドラマ『徳川家康』で主演を務め、最高視聴率37.4%を記録。名実ともに国民的俳優の頂点に登り詰めました。さらに1987年には、東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』の日本初演で鹿賀丈史とともにジャン・バルジャン役を熱演し、演劇界に不滅の金字塔を打ち立てています。
さらに日曜夕方の長寿料理情報番組『料理バンザイ!』(フジテレビ系)では、1982年4月から2002年3月までの20年間・全1034回にわたり司会を担当。「どーですか、みなさん!」という豪快な掛け声と飾らない人柄で、日本の食卓に欠かせない顔となっていました。
絶頂期にあった滝田の心に決定的な転機をもたらしたのは、1990年代初頭に訪れた「最愛の母の他界」でした。当時の手記や特番インタビューにおいて、滝田は母を失った深い喪失感と、虚構を演じ続ける俳優業のギャップに苛まれていた苦悩を吐露しています。「どれほどスポットライトを浴びて拍手をもらっても、母の死という現実に直面したとき、自分の手のひらには何も残っていない虚しさに襲われた」という主旨の独白は、彼の人生を根底から揺さぶりました。
母の供養のため、誰に師事することもなく、ただ一心不乱に木片へノミを突き立てたことが、仏像彫刻家・滝田栄の原点です。著書『滝田栄 仏像を彫る』(毎日新聞社)や、淡交社『新版 古寺巡礼奈良 唐招提寺』の巻頭エッセイにも綴られている通り、仏像を彫る行為は彼にとって芸能の延長ではなく、己の迷いと悲しみを鎮める「祈りの実践」でした。商業芸能のスケジュールに追われる日々と決別し、創作に生きる道を選んだのは、必然の帰結だったのです。