そもそも、なぜ18世紀から19世紀初頭のウィーンで「トルコ風」の音楽が爆発的な流行を見せたのでしょうか。その背景には、オーストリアとオスマン帝国(現在のトルコ)の軍事的・文化的接触の歴史が存在します。
歴史的な契機となったのは、1683年の第2次ウィーン包囲です。オスマン帝国軍が包囲を解いて撤退した後、現地には太鼓やシンバルといった打楽器、独特な軍楽隊の文化が残されました。オスマン帝国の常備軍に属する軍楽隊「メフテル(Mehter)」が打ち鳴らすズルナ(管楽器)の鋭い音色、ダヴル(大太鼓)、ズィル(シンバル)、チェヴガン(鈴のついた杖)の強烈なビートは、当時のヨーロッパ人にとって未曾有の衝撃でした。
18世紀後半のウィーンでは、このエキゾチックな軍楽響向を取り入れた「アラ・トゥルカ(Alla Turca=トルコ風)」の流行が最高潮に達します。ハプスブルク宮廷の貴族たちだけでなく庶民に至るまでトルコ趣味(Turquerie)に熱狂し、当時のピアノにはペダルを踏むとシンバルや太鼓のような打撃音が出る「ヤニツァーレン・ペダル(トルコ軍楽ペダル)」が装着されるほどでした。
ベートーヴェンはこの歴史的潮流を巧みに捉え、打楽器群(トライアングル、シンバル、大太鼓)を効果的に用いて、勇壮でどこかユーモラスな行進曲を作り上げたのです。