1909年10月26日朝、凍てつく空気に包まれたハルビン駅ホーム。ロシアのガードマンと日本側の歓迎列に囲まれた伊藤博文に向けて放たれた数発の弾丸。世にいうハルビン駅事件である。この一瞬の出来事は、崩壊の危機に瀕していた大韓帝国の運命を決定づける悲劇的なトリガーとなった。
当時、朝鮮半島における日本の支配力は急速に強まり、外交権の剥奪や軍隊解散が押し進められていた。命をかけて韓国独立運動に身を投じていた若者たちにとって、伊藤博文はその侵略政策の象徴的元凶にほかならなかった。だが、この流血の惨劇は日本の強硬派を刺激し、結果として韓国併合への道程を加速させるという皮肉な歴史の逆説を生み出すこととなった。