第一国立銀行の急速な成功は、日本全国に国立銀行が乱立するきっかけを生み出した。民間資金を活用した地方産業の育成は加速したものの、各行が独自に紙幣を発行したことで、やがて通貨価値の乱高下という深刻な問題が発生する。ここで渋沢は、自らの事業の利害を超えた大決断を下すことになる。
中央銀行としての日本銀行創設が持ち上がった際、渋沢は第一国立銀行が保持していた紙幣発行権の返還を全面的に受け入れた。自社の利益を優先すれば手放したくない特権を、国家全体の秩序のために差し出したのだ。民間主導の金融業および銀行業の発展と、国全体の通貨供給の安定。この二つのバランスを巧みに取りながら改革を進めた手腕は、日本の近代経済史における白眉と称されている。