原監督と美穂さんが結婚したのは、監督がまだ中国電力のサラリーマンだった時代にさかのぼる。当時から子どもを望んでいた二人だったが、なかなか子宝には恵まれなかった。不妊治療にも取り組んだが、結果は出ず、心身ともに疲弊する日々を送ったという。
そんな折に舞い込んだのが、青山学院大学陸上競技部監督への就任オファーだった。当時はまだ無名に近かった青学駅伝部を再建するため、夫婦は退職と上京を決意する。「実の子どもを持つこと」への執着を手放し、目の前の若い選手たちを育てることに人生のすべてを捧げる覚悟を決めた瞬間だった。