高松宮宣仁親王の真実|海軍日記が明かす昭和天皇への直言と終戦工作

高松宮宣仁親王の真実|海軍日記が明かす昭和天皇への直言と終戦工作

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高松宮宣仁親王は1905年(明治38年)1月3日、大正天皇と貞明皇后の第3皇子として誕生しました。幼名は光宮(てるのみや)。皇室の家系図において、兄に昭和天皇(裕仁親王)と秩父宮雍仁親王、弟に三笠宮崇仁親王を持つ「直宮(じきみや)四兄弟」の一角を占めます。1913年、有栖川宮威仁親王の薨去に伴い、有栖川宮の祭祀を継承する形で「高松宮」の宮号を賜りました。

皇族男子の慣例として陸海軍に進むなか、次男の秩父宮が陸軍へ進んだのに対し、宣仁親王は海軍の道を歩みます。学習院初等科を経て海軍兵学校(第52期)、海軍砲術学校高等科、そしてエリートの登竜門である海軍大学校(第34期)を卒業しました。戦艦「長門」や「比叡」の砲術長、巡洋艦「八雲」の乗組幹部などを歴任し、現場の将兵と苦楽を共にした経験が、親王に強烈な「リアリズム」を植え付けることになります。

最終階級は海軍大佐。開戦時には軍令部員(大本営海軍参謀)として、作戦計画と戦局の推移を最も客観的な数字と情報で把握できる立場にありました。この「大本営の中枢にいる皇族軍人」という極めて特異な立ち位置こそが、宣仁親王を国家の悲劇と真っ向から対峙させる要因となったのです。

鈴木 陽菜
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鈴木 陽菜

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