キーセンが日本でも広く知られるようになった最大の契機は、1960年代後半から1970年代にかけて過熱した「キーセン観光」の歴史にあります。
当時、朴正煕(パク・チョンヒ)政権下の韓国は経済成長の途上にあり、外貨獲得が国家の最優先課題でした。1965年の日韓国交正常化と1970年代の日本の高度経済成長期が重なり、多くの日本人男性観光客がパッケージツアーを利用して韓国を訪れました。政府もこれを事実上黙認・後押しし、観光公社がキーセンに身分証を発行して衛生管理を行うなど、国策に近い形で外貨獲得の手段とされた時代がありました。
当時のキーセン料亭は、豪華な韓国伝統建築の中で宮廷料理が振る舞われ、琴(カヤグム)の演奏や伝統舞踊が披露される場でした。しかし、宴席の延長線上で買春が行われるケースが常態化し、実質的な性接待の場へと変貌していった背景があります。
この実態に対し、1973年頃から韓国の女子大生やキリスト教系女性団体、さらには日本の女性運動家たちによる激しい反対デモが巻き起こりました。「女性を外貨獲得の道具にするな」という強い批判は国際的な人権問題へと発展し、キーセン観光は急速に社会的批判を浴びることとなりました。