平田信は1965年、北海道札幌市に生まれました。学生時代は射撃部に所属し、銃器の扱いや身体能力に長けていたとされています。大学卒業後、コンピューター関連企業に勤務していましたが、精神的な充足を求めて1984年代半ばにオウム真理教へ入信し、やがて出家信者となりました。
教団内では「ポーシャ」というホーリーネームを与えられ、長身で冷静な立ち振る舞いから、教団の武装化や警備部門を担う「車両省」などの幹部ポストへ重用されていきました。教団が急速に過激化し、生物化学兵器の開発や拉致・暗殺計画を本格化させる中で、平田信はその実行を支える実務要員として深く組み込まれていったのです。
1995年の地下鉄サリン事件直前まで、教団幹部らの指示に従い様々な違法行為に関与。教団施設に対する警察の強制捜査が迫る中、平田信は1995年5月に教団からの逃走資金を受け取り、姿を消しました。ここから、警察庁の特別指名手配被疑者として17年近くに及ぶ前代未聞の逃亡劇が幕を開けることになります。