大仙陵古墳は本当に仁徳天皇陵か?教科書改訂の真相と最新調査

大仙陵古墳は本当に仁徳天皇陵か?教科書改訂の真相と最新調査

大仙陵古墳は本当に仁徳天皇陵か?教科書改訂の真相と最新調査の真相や最新動向に迫る! 専門的な視点でまとめました。

学校教育の現場において、かつては単に「仁徳天皇陵」と記されていた名称が、現在は「大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)」や「大仙古墳」と併記される形が主流となっています。この変化の背景には、名称の改悪ではなく、歴史学と考古学が歩んできた誠実な研究の積み重ねが存在します。

そもそも「仁徳天皇陵」という位置づけは、幕末から明治期にかけて政府や宮内省(現・宮内庁)が『古事記』『日本書紀』などの古典籍の記述をベースに現地を比定・決定(治定)したものです。しかし、当時の調査手法は文献照合と地形の観察が主であり、科学的な年代測定や遺物分析に基づいたものではありませんでした。

戦後、考古学の飛躍的な発展により、古墳から出土する埴輪の編年や土器の型式変化から築造年代を高い精度で特定できるようになりました。その結果、大仙陵古墳の築造年代は5世紀中葉から後半(440〜460年頃)と推定されるに至ったのです。一方で、文献史学が示す第16代仁徳天皇の治世年代とは一定のズレが生じる可能性が浮上しました。

考古学界の共通認識として「確実な同時代文字史料(墓誌など)が出土していない以上、学術的には地名をとって大仙陵古墳と呼ぶのが客観的である」という立場が確立しました。これを受けて文部科学省の検定教科書も、宮内庁の宗教的・伝統的な「治定名」を尊重しつつ、遺跡としての「考古学名」を主軸に置く記述へとシフトしたという経緯があります。

高橋 健太
Author

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。