相川七瀬のプロデューサーは誰?織田哲郎との絆と不仲説の真相

相川七瀬のプロデューサーは誰?織田哲郎との絆と不仲説の真相

相川七瀬のプロデューサーは誰?織田哲郎との絆と不仲説の真相の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。

二人の接点が生まれたのは1990年、相川七瀬がわずか15歳のときでした。当時、中学3年生だった彼女はソニーミュージック主催のオーディションに応募します。審査員席に座っていたのが、すでに数々のメガヒットを世に送り出していた織田哲郎でした。結果として彼女はオーディションで落選したものの、審査会場で見せた粗削りで反抗的な眼光と独特の存在感に、織田は強烈な直感を抱きます。

審査後、織田は彼女に対して「君はアイドルには向いていない。でも、本気で歌いたくなったら連絡しておいで」と言い残して連絡先を渡しました。当時の芸能界において、落選した一人の少女に大物作曲家が自ら声をかけるのは極めて異例の出来事です。相川自身、当時の家庭環境や学校生活に行き場のない焦燥感を抱えており、大人の建前に強い不信感を持っていました。しかし、織田の放つ飾らない言葉だけは心に残り続けたと、後の手記やインタビューで述懐しています。

それから約5年の歳月が流れた1995年、20歳を迎えた相川は意を決して織田に連絡を入れます。織田はその電話を受け、エイベックス内に新設されたロック専門レーベル「motorod」の第1弾アーティストとして、相川七瀬を全面プロデュースすることを即断しました。当時、織田は大手制作会社・ビーイングの専属的なヒットメーカーとして多忙を極めていましたが、「既存の枠組みに囚われない、真の女性ロッカーをゼロから育て上げたい」という強い創作欲求が、相川七瀬という唯一無二の原石と合致した瞬間でした。

林 結菜
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林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。