たとえ確認された事実でなくても、「誰かを失うかもしれない」という恐怖や、「もう会えないかもしれない」という感覚は、それだけで深い感情を引き起こす。SNS上での追悼や哀悼の言葉は、そうした感情の受け皿として機能している側面がある。
誰かへの感謝や愛着を言葉にすること自体は、人間として普遍的な営みだ。問題は、不確かな情報を事実として広めることではなく、その感情を大切にしながらも、情報の正確さを同時に守ることにある。
追悼の気持ちは本物であっていい。ただ、その気持ちが誤情報を拡散するエネルギーに変わらないよう、一呼吸おく習慣が必要だ。好きだったコンテンツを振り返り、その思い出を静かに胸にしまうだけでも、十分な追悼になり得る。