歴史を平安時代中期まで遡ると、神宮をめぐる風景は現代と大きく異なっていた。延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』において、「神宮」と記されていたのは伊勢の神宮、そして武神を祀る鹿島神宮、香取神宮のわずか3社のみであった。
この極めて限定的だった状況を大きく変えたのが明治維新である。国家神道の確立を目指した政府は、皇権の正統性を強調するため、歴代天皇を祀る社に次々と「神宮」の社号を下賜した。現代において文化庁が文化財保護や無形文化遺産の継承施策を進める中でも、こうした古代の祭祀記録と近代の歴史的改編の重層性は、日本の宗教空間を読み解く上で欠かせない学術的テーマとなっている。