原宿におけるアフリカ系外国人の集積は、決して突発的な現象ではない。発端は1980年代後半のバブル期から1990年代初頭にかけて、主にナイジェリアやガーナなど西アフリカ諸国から職を求めて来日した移民たちの足跡にまで遡る。当時、円高と旺盛な内需に沸く日本において、彼らが目をつけたのが急成長を遂げていた国内のアパレル産業だった。
なかでも竹下通りは、家賃の高い路面店を出店できない小規模な個人事業主にとって、空中階や地下フロアの格安テナントを借り受けて独自の商流を作る格好の実験場となった。アメリカのストリートカルチャーが直輸入され始めた時代、彼らは本場のヒップホップファッションやオーバーサイズのアパレル、並行輸入のスニーカーを現地から仕入れる独自のルートを構築したのである。
視認性の悪い地下や2階以上の店舗へ客を誘導するため、街頭で直接声をかける「客引き(キャッチ)」という営業手法が定着した。地元組織である原宿竹下通り商店会との間では、度重なる摩擦や営業ルールの策定をめぐる折衝が繰り返されてきたが、彼らの存在はいつしか街の生態系の一部として組み込まれていった。