なぜ、多勢に無勢の状況で「13人」という中途半端な人数だったのか。映画的な演出を除外しても、この数字にはゲリラ戦における合理性がある。
軍事史の専門家によれば、隠密行動を維持しつつ、狭い宿場町で局所的な数的優位を作り出すための限界人数が10人強であるという。これ以上増えれば隠密性が失われ、これ以下では敵の護衛集団に押し潰される。実際に当時、各地で多発していた天誅や暗殺事件の実行犯グループも、多くが10人から15人前後で構成されていた。少人数での奇襲こそが、当時の狭隘な日本の街道筋において最も成功率の高い戦術だったのだ。