チエミの急逝後、高倉健は生涯独身を貫きました。なぜこれほどの国民的映画スターが、一度も再婚することなく独り身を通したのか。その背景には、元妻である江利チエミに対する生涯消えることのなかった深い愛情と悔恨の念がありました。
東京都世田谷区にある法仙寺の江利チエミの墓前には、毎年2月13日の命日や春秋のお彼岸になると、人目を避けるように早朝や夜陰に乗じて手を合わせる高倉健の姿が長年にわたり目撃されていました。寺の関係者や近隣住民の証言によると、誰よりも早く供えられる清楚な花束と、直立不動で長く祈りを捧げる高倉健の姿は、亡き妻への不変の誓いそのものでした。
また、1999年に公開され日本アカデミー賞を総なめにした映画『鉄道員(ぽっぽや)』において、高倉健自身が監督の降旗康男に「劇中で『テネシーワルツ』を流してほしい」と直訴したエピソードは有名です。主人公の駅長・乙松が雪の中で呟くように口ずさむメロディには、先立たれた妻・チエミへの届かぬ鎮魂歌としての意味が込められていました。言葉多く語ることを好まなかった高倉健が、自らの表現活動を通じて元妻への想いを公に昇華させた決定的な瞬間でした。