5万回斬られた男・福本清三の死因と最期|遺した名言と伝説の軌跡

5万回斬られた男・福本清三の死因と最期|遺した名言と伝説の軌跡

5万回斬られた男・福本清三の死因と最期|遺した名言と伝説の軌跡にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

福本清三氏(本名:橋本清三)は、1943年(昭和18年)2月3日、兵庫県城崎郡香住町(現在の香美町)の農家に6人兄弟の三男(第5子)として生まれました。幼少期は極めて内向的な性格で、中学卒業後は親族が営む米穀店へ奉公に出されたものの、「いらっしゃいませ」の一言すら気恥ずかしくて声が出ないほどの恥ずかしがり屋だったと、当時の自著でも述懐しています。

転機が訪れたのは1959年、15歳の春でした。京都で不動産業を営んでいた叔父の仲介により、東映京都撮影所に入社。映画全盛期の熱気に包まれるなか、身寄りのない若手たちが集う「大部屋俳優」としてのキャリアをスタートさせました。当時の京都太秦は数多のスターがしのぎを削る黄金期であり、大部屋の無名俳優がセリフのある役に恵まれる機会は極めて稀でした。

その過酷な現場で福本氏が見出した活路こそが、主役に斬られて倒れる「斬られ役(やられ役)」の道でした。東映の殺陣専門集団「東映剣会」に身を置き、主役の太刀筋をいかに鋭く、気高く見せるかを追求。カメラのアングル、刀の軌道、倒れ込む瞬間のスピードを計算し尽くした結果、身体を極限まで弓なりに反らせて背中から地面に激突する「エビ反り」という伝説的な倒れ技を完成させました。約半世紀のキャリアのなかで画面上で斬られた回数は延べ5万回を超え、時代劇ファンから「日本一の斬られ役」として唯一無二のリスペクトを集める存在となったのです。

石川 優花
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石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。