江戸から明治にかけての昌平橋は、神田川の度重なる氾濫や大火によって流失と再建を繰り返す苦難の歴史を歩みました。特に暴れ川として知られた神田川の水害対策は急務であり、木橋のままでは都市のインフラを支えきれなくなっていきます。
転機が訪れたのは明治維新後の近代化政策です。明治32年(1899年)、東京市による市区改正事業の一環として、頑丈な鉄橋へと生まれ変わりました。さらに、大正12年(1923年)の関東大震災を経て、帝都復興事業の中で本格的な恒久橋の整備が進められます。
現在見ることができる美しい2連鉄筋コンクリートアーチ橋が完成したのは昭和3年(1928年)のことです。橋長約29.7メートル、幅員約24.5メートルの重厚な造りは、昭和初期の土木技術の粋を集めた近代化遺産であり、およそ1世紀を経た現在も当時の風格を損なうことなく秋葉原の街を支え続けています。