この深刻な事態に対し、国組織である日本国有鉄道(国鉄)も手をこまねいていたわけではない。昭和20年代後半から本格的な対策検討が始まったものの、車両ごとの重量制限や給排水タンクの積載スペース確保、さらには基地での汚物回収インフラ整備など、乗り越えなければならない障壁は果てしなく高かった。
当時の列車便所は、水を入れて流すタンクすら備えていない完全な粉砕落下式や、薬剤を混ぜて一時的に溜める簡易的な構造が試行錯誤されていた。しかし、長距離を走る特急や急行列車では処理能力を超えてしまい、根本解決には程遠い状態が続いた。国鉄のエンジニアたちは、限られた車内空間でいかに衛生的に汚物を処理するかという難題に、試行錯誤を繰り返すこととなった。