吉村家の半世紀にわたる歴史は、師弟の絆だけでなく、激しい対立と離別の歴史でもあります。その中でも家系ラーメン史に刻まれる二大事件が「本牧家独立劇」と「王道家破門騒動」です。
1. 1986年の原点:本牧家立ち上げと弟子たちの集団離脱
吉村家が新杉田で爆発的な人気を博していた1986年、吉村実総裁は2号店として横浜市中区に「本牧家」を開業し、当時の実力派弟子であった神藤隆氏(のちの六角家創業者)らを店長・幹部として配置しました。しかし、運営方針や店舗の処遇を巡る軋轢から、わずか数か月で神藤氏ら主要スタッフが本牧家を突如離脱し、独立して「六角家」を立ち上げるという事態が発生します。
当時の報道や関係者の証言によると、激怒した吉村総裁は本牧家の営業を一時休業させ、吉村家本店から自ら乗り込んで立て直しを図るなど、横浜ラーメン界を揺るがす大騒動へと発展しました。この出来事は、その後の「直系制度における弟子への厳格な統制と忠誠の誓約」が整備される決定的な引き金となりました。
2. 王道家・清水裕正氏の破門理由と自家製麺への転換
2000年代以降、直系店として屈指の知名度と実力を誇ったのが、千葉県柏市に店を構えた「王道家」(店主・清水裕正氏)でした。吉村総裁の右腕とも目され「直系四天王」の筆頭と評されていましたが、2011年に直系を離脱(破門)することになります。
破門の核心にあったのは、「スープの濃度追求」と「麺(酒井製麺)をめぐる規律違反」でした。清水氏は、吉村家の黄金比率よりもさらに豚骨の骨感を極限まで強めた濃厚スープを志向し、それに負けない太さとコシを持つ麺を求めて自社製麺(自家製麺)の導入を決断しました。
しかし、吉村家直系の絶対的ルールとして「麺は酒井製麺の特注麺を使用すること」が義務付けられていました。自家製麺への切り替えは、吉村家のブランド規定に対する明確な違反となります。清水氏は「自らが信じる究極の味を追求するため」に看板を外し、吉村家直系を離脱。その後、王道家グループとして独自の巨大勢力を築き上げることとなりました。