世界が右側通行へシフトする中、日本とイギリスが左側通行を貫いた背景には、それぞれの武士道と騎士道に根ざした明確な歴史的理由があります。
日本の左側通行の起源は、江戸時代の武士文化にあります。武士は刀を左腰に差して歩いていたため、右側通行ですれ違うと互いの鞘(さや)がぶつかり合う「鞘当て」が発生し、無用な刃傷沙汰に発展するリスクがありました。そのため、自然と道路の左側を歩くマナーが定着したとされています。明治時代に入り、鉄道の敷設にあたってイギリスから技術導入を行ったことも、交通インフラ全体が左側通行へ一本化される決定打となりました。
一方のイギリスでも、中世の騎士が右手で剣や槍を扱いやすくするために馬を左側で進めていた伝統がありました。また、複数頭立ての馬車を操る御者が、右手に持った長い鞭(むち)を後方の馬に当てる際、右側通行だと対向車の乗客に当たってしまう危険があったため、馬車も左側通行が合理的だったのです。
第二次世界大戦後、1949年に締結されたジュネーブ道路交通条約においても、各国が主権に基づいて自国の通行区分(左側または右側)を指定できる規定が維持され、日本やイギリスは独自の道路文化を国際的に認められる形で今日まで継承しています。