『吾輩は猫である』が世に出るきっかけとなったのは、俳人・高浜虚子が主宰していた俳諧雑誌『ホトトギス』です。当時、東京帝国大学や第一高等学校で英語を教えていた夏目漱石は、神経衰弱の気晴らしとして文章を書くことを勧められ、愛猫をモデルにした短編を執筆しました。
1905年(明治38年)1月号に掲載された第1回は、本来1回限りの「読み切り短編」として企画されたものでした。しかし、猫の視点から人間社会をユーモラスかつ辛辣に風刺する斬新な文体が読者の熱狂的な支持を集めます。虚子の強い要望を受けて続編が次々と執筆され、結果として1906年(明治39年)8月号まで全11回にわたる長編連載へと発展しました。
無名の英語教師だった夏目漱石は、この一作によって一躍文壇の寵児となり、のちに教職を辞して朝日新聞社へ入社し、専業作家への道を歩み出すことになります。