平和な法治国家として知られる日本ですが、その歴史を紐解くと数多くのクーデターや政変が国の行方を左右してきました。
古代における最大のクーデターとして名高いのが、西暦645年の「乙巳の変(大化の改新の幕開け)」です。中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)らが、宮中で専横を極めていた蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏本宗家を滅ぼして天皇中心の中央集権国家への転換を強行しました。これは支配中枢の要人を電撃排除して政権を奪取した、典型的な宮廷クーデターの構造を持ちます。
そして近代日本において最も深刻な危機をもたらしたのが、1936年(昭和11年)2月26日に勃発した「二・二六事件」です。
陸軍内の過激派青年将校たち(皇道派)が下士官・兵約1,400名を率いて蜂起。大蔵大臣の高橋是清や内大臣の斎藤実らを暗殺し、首相官邸や警視庁を占拠しました。彼らは「君側の奸(天皇の側近の悪人たち)を倒し、昭和維新を断行する」ことを主張しましたが、昭和天皇が反乱軍に対して強い激怒と不快感を示し、即座の鎮圧を命じたことによって叛乱軍と認定され、わずか数日で鎮圧されました。
二・二六事件そのものは失敗に終わったものの、この事件を契機に日本国内では「軍部の意向を無視すれば命を狙われる」という恐怖が政治家や官僚の間に定着しました。結果として陸軍の政治的発言力が極限まで強まり、日本が軍国主義と太平洋戦争への道を突き進む決定打となってしまったのです。