武家社会における本家・分家の関係は、さらに厳格な「宗家」と「支家・御連枝」の秩序によって統制されていた。徳川将軍家を筆頭とする徳川記念財団が保存・公開する古文書を繙くと、分家は本家の危機に際して養子を送り込むバックアップ装置であり、主従関係に近い厳密な取り決めが交わされていたことがわかる。
血統の記録と保存を研究する日本家系図学会の知見によれば、日本の家系意識は明治の民法制定時に人工的に強化された側面が強い。武士階級のみに許されていた厳格な家督相続が一般庶民にまで拡大適用された結果、庶民の間にも「本家意識」「血の序列」が過剰に内面化されたという。
「法律が変わっても、三世代にわたって刷り込まれた価値観は簡単には消えない」。ある家系研究者はそう指摘する。法制度上の「宗家」や「家督」は消滅しても、冠婚葬祭で上座に座るべきは誰か、本家の意向を無視した不動産売却は許されるのかといった無言の同調圧力が、親族ネットワークの中に頑然として残っている。