秀吉がここまで小柄に育った最大の要因は、幼少期の過酷な階層環境と栄養失調にあります。代々恵まれた食生活を送ることができた名門武家出身の信長らとは異なり、尾張国の中村で貧しい農民(または下級足軽)の子として生まれた秀吉の成長期は、常に飢えとの戦いでした。
戦国期の庶民の主食は稗(ひえ)や粟(あわ)などの雑穀であり、成長期に必要なタンパク質やカルシウムの摂取量は極端に不足していました。骨の成長が著しい時期に過酷な肉体労働を強いられたことも、骨格の発育を妨げた決定打といえます。
しかし、秀吉はその身体的ハンデを一切言い訳にしませんでした。体格の劣勢を補うために誰よりも早く起きて働き、人の心理を巧みに掌握し、兵站(兵糧補給)や城攻めといった「力技に頼らない戦術」を磨き上げた結果が、前代未聞の出世劇へと結びついたのです。