70年代後半までに「青春スター」「熱血教師」のパブリックイメージを確立した中村雅俊にとって、1980年代初頭は音楽的な転換期でした。その決定打となったのが、1982年にリリースされた桑田佳祐提供曲『恋人も濡れる街角』です。
当時の特番インタビューや手記において中村雅俊自身が明かしているところによると、新たな音楽的刺激を求めていた本人が桑田佳祐に直談判し、楽曲提供を依頼したことが発端でした。桑田佳祐は中村雅俊の声質が持つ甘い倍音と男の色気を徹底的に分析し、横浜・本牧の情景を彷彿とさせる濡れたコード進行とメロウなリズムを構築しました。
レコーディング現場では、桑田佳祐の細やかな歌唱指導に対し、中村雅俊が持ち前の柔軟な表現力で応え、従来のフォーク調の歌い回しを排したスタイリッシュなボーカルスタイルを開花させました。この楽曲の成功により、中村雅俊は80年代シティポップ・AORの文脈でも高く評価されることとなり、男性ボーカリストとしての幅を決定的に広げたのです。