語学的な基礎知識と切っても切り離せないのが、1989年にこの地で発生した武力弾圧の歴史です。中国語圏では一般に「六四天安门事件(Liùsì Tiān'ānmén Shìjiàn)」または単に「六四(Liùsì)」、一連の運動全体を指して「八九民運(Bājiǔ Mínyùn)」と呼ばれます。
事件が起きた直接の引き金は、1989年4月15日の胡耀邦・元中国共産党総書記の急死でした。改革派指導者として学生から人気の高かった胡耀邦の追悼をきっかけに、北京大学をはじめとする大学生や市民が天安門広場に集結。インフレへの不満、官僚の汚職・腐敗の追及、言論の自由や民主化を求める大規模な座り込みデモへと発展しました。
抗議活動は数週間にわたって天安門広場を占拠し、全国各地の主要都市にも波及しました。しかし、共産党指導部はこれを「反革命動乱」と断定。同年1989年6月4日未明、人民解放軍の戦車と武装部隊を広場へ突入させ、無差別の銃撃によって多くの非武装の学生・市民を強制排除しました。犠牲者の総数は今なお公式に明かされておらず、数百人から数千人に及ぶと推計されています。