奇抜なコスチュームから一見するとタレントや大道芸人のようにも映ったオリンピックおじさんですが、その正体は一代で強固な企業グループを築き上げた叩き上げの実業家、山田直稔氏です。
1926(大正15)年、富山県西礪波郡(現・南砺市井波地域)に生まれた山田氏は、上京して日本大学経済学部を卒業。戦後の復興期にワイヤーロープの加工・販売に着目し、大阪で浪速商事株式会社を創業しました。持ち前の行動力と誠実な商談スタイルで事業を急成長させ、後に本社を東京・神田へ移転。ワイヤーロープ業界の有力企業へと押し上げただけでなく、ホテル経営や不動産賃貸業へと多角化を成功させ、グループ年商数十億円を誇る経営基盤を確立しました。
実業家として得た私財を惜しみなく注ぎ込んだのが、ライフワークとなった五輪応援でした。初観戦となった1964年の東京五輪で、男子体操の華麗な演技と会場の熱気に魂を揺さぶられた山田氏は、「スポーツを通じて世界に平和と友情の輪を広げたい」と決意。以来、1968年メキシコシティ、1972年ミュンヘン、日本がボイコットした1980年モスクワ(個人として現地観戦)を経て、2016年リオデジャネイロまで、実に夏季14大会連続で現地客席に立ち続けました。
周囲を驚かせたのは、その莫大な遠征費用です。1大会あたりの滞在期間は2週間から3週間に及び、航空券や高級ホテルの宿泊費、観戦チケット代に加え、現地で現地人や他国サポーターに配る数千本もの手旗や特製バッジ、扇子の制作費を含めると、1回あたり数百万円から1000万円以上に達しました。山田氏の生前の手記やメディア取材の告白によると、生涯で費やした自己資金は1億円から2億円超と試算されています。スポンサー企業からの資金援助や公的団体の補助金は一切受けず、すべて自社の配当や役員報酬から捻出する「完全な自腹応援」を貫き通しました。