波留敏夫という野球人を語る上で外せないのが、1998年の横浜ベイスターズにおける圧倒的な存在感です。社会人の熊谷組を経て1993年ドラフト2位(逆指名)で入団した波留氏は、俊足強打の外野手として頭角を現しました。
1998年に結実した「マシンガン打線」において、波留氏が務めた「2番・中堅手」は打線の心臓部でした。1番の石井琢朗氏が出塁すれば確実に進塁打を放ち、好機と見れば自らもヒットエンドランで右中間を破る。長打一発に頼らず、単打と二塁打を連鎖させて相手投手を打ち崩す打線の中で、相手バッテリーに最もプレッシャーを与えたのが波留氏のしぶとさでした。
当時のインタビューや特番で本人が振り返っているように、「自分のアウトで走者を殺さない、どんなに不格好でも次の鈴木尚典、ローズにつなぐ」という徹底したチームファーストの姿勢が、チームに38年ぶりの歓喜をもたらしました。ユニフォームを泥だらけにして一塁へ気迫のヘッドスライディングを試みる姿は、ファンから「ハマの核弾頭」として熱狂的に支持されたのです。