そもそも、なぜ反社会的勢力である暴力団が、莫大な費用と労力をかけて餅つき大会を催していたのでしょうか。当時の記録や関係者の証言を紐解くと、そこには周到に計算された「組織防衛」と「地域懐柔」の二重構造が存在していました。
三代目・田岡一雄組長の時代から本格化したとされるこの行事は、表向きは日本の伝統的な正月準備であり、日頃迷惑をかけている地域社会への「挨拶」と位置づけられていました。つきたての餅だけでなく、組織のロゴが入ったカレンダー、さらには訪れた子どもたちにお年玉(1人あたり2,000円〜5,000円程度)を直接手渡す光景は、かつての情報番組や報道特番でも度々取り上げられています。
しかし、その真の狙いは「地域住民を共犯関係に巻き込む心理的包囲」にありました。地域の子どもや高齢者に親切な「街の顔役」を演じることで、警察の捜査に対する住民からの情報提供を鈍らせ、総本部撤去運動などの住民運動を未然に骨抜きにする防波堤として機能させていたのです。「お年玉をもらったから悪く言えない」「昔から餅を配ってくれるから危険はない」という錯覚を地域に植え付けることこそが、最大の目的でした。