万が一、人間や飼育犬などがヤマアラシの針の餌食になってしまった場合、絶対にやってはいけない行為があります。それが「焦って素手で力任せに引っこ抜くこと」です。
素手で引っ張ると、表皮組織を大きく裂傷させるだけでなく、針が途中で折れて「返しのついた先端部分」が皮下に残留してしまいます。皮下に残った破片は異物反応を引き起こし、やがて血管や重要臓器に向かって潜行を続けるという最悪のシナリオを辿ります。
かつてのアウトドア雑学では「針の根元をハサミで切り落とすと、針内部の空気が抜けてしぼみ、返しが外れやすくなる」という民間療法が語られていました。しかし、近年の野生動物医学および獣医療の臨床知見では、針の切断は構造を脆弱にしてプライヤーで掴む際の破砕リスクを高めるとして否定されつつあります。正しい抜く手順は、清潔なペンチや止血鉗子を用いて針の根元を皮膚の際でしっかりとホールドし、「刺さった直線軌道と寸分違わぬ角度で、一気に引き抜く」ことです。抜去後は速やかな外科的デブリードマンと抗生物質の投与、破傷風トキソイドの接種が必須となります。
ここで、知る人ぞ知るヤマアラシの生態雑学を2つ紹介しましょう。
1つ目は、「生まれたての赤ちゃんヤマアラシの針は驚くほど柔らかい」という事実です。母胎の産道を傷つけないよう、針はゼリー状の柔軟な皮膜に覆われて生まれてきます。これが外気に触れることで、わずか数時間から数日のうちに急速に硬化し、強固な鎧へと変貌を遂げます。
2つ目は、針の表面に分泌される「抗菌性脂肪酸」の存在です。木登りを得意とする新世界ヤマアラシ(カナダヤマアラシなど)は、枝から落下して誤って自分の針で自分を刺してしまう事故が頻発します。その際、自傷による細菌感染で命を落とさないよう、針自体に抗生物質に似たコーティングが施されているという説が有力視されています。自分自身の武器から身を守るための、究極のセーフティ機構といえるでしょう。