インターネット上の掲示板やSNSでは、長年にわたり「矢沢永吉はNHKと確執があり、出禁になっていたのではないか」という俗説が飛び交ってきました。しかし、この噂は完全な事実誤認に基づいています。なぜ矢沢は長らく紅白のオファーを固辞し続け、デビューから37年もの歳月を経てようやく受諾したのか。その出演理由の核心には、アーティストとしての揺るぎない矜持とテクノロジーの進化が関係していました。
1970年代から80年代にかけてのテレビ音楽番組は、オーケストラによる画一的な伴奏や、レコード音源をそのまま流す当て振り(リップシンク)が一般的でした。自身のツアーで専属バンドと妥協のない音作りを追求し、日本におけるアリーナロックの音響基準を一人で引き上げてきた矢沢にとって、生演奏のグルーヴを忠実に再現できない環境で歌うことはファンに対する裏切りに他ならなかったのです。自著や過去のインタビューでも語られている通り、彼は「歌番組が嫌いなのではなく、ロックの音を鳴らせない環境に妥協したくなかった」に過ぎません。
転機となったのは2000年代後半以降、NHKホールの大規模なデジタル音響設備の刷新と、外部クルーの持ち込みやミキシングに対する番組制作陣の柔軟な姿勢でした。NHK側が矢沢の要求するステージ条件——すなわち「自前のツアークルーによるマイキング」「完全生演奏」「リハーサルの徹底」——を全面的に受け入れる体制を整えたこと、そして矢沢自身が60歳(還暦)を迎えた節目と紅白第60回記念大会という数字の一致が合致したことで、歴史的和解ならぬ歴史的合流が結実したのです。