日本の都市部では、コンビニエンスストアで商品を受け取る際や、エレベーターの扉を押さえてもらった際など、1日に何度も「ありがとうございます」「どうも」と口にするのが一般的な礼儀とされています。しかし、ネパール社会における言語感覚は、この日本の習慣とは大きく異なっています。
ネパール語における「ダンニャバード(Dhanyabad / धन्यवाद)」は、サンスクリット語に起源を持つ極めてフォーマルかつ重みのある言葉です。政治家の演説の締めくくり、大規模な支援を受けた際の公式なスピーチ、あるいは生命や財産に関わるような特別な恩義を受けた場面で用いられるのが本来の姿です。
そのため、食堂で料理を運んできてくれた店員や、小銭のお釣りを渡してくれた売店の店主に対して「ダンニャバード」と告げると、相手は「なぜそこまで大げさに感謝されるのか」と面食らってしまうケースが少なくありません。場合によっては、「他人行儀で冷たい態度をとられた」「身内としての親しみを拒絶された」と受け取られるリスクすら存在します。
この背景には、ヒンドゥー教や仏教の価値観が生活に深く根差したネパールのコミュニティ構造があります。日常の助け合いは「お互い様(当然のカルマ・徳の積み重ね)」であり、家族や親しい友人、近隣住民の間でいちいち言葉にして借りを清算するような行為は、かえって人間関係に心理的バウンダリー(境界線)を引く行為とみなされるからです。