「不動態皮膜さえあれば、どんな過酷な環境でも絶対に腐食しないのか?」といえば、答えは明確にノーです。金属加工の現場やプラント工場の保全担当者からは、不動態に対する盲信が生んだ痛ましいトラブルの証言が絶えません。
東海地方の化学プラントで配管保全に携わる主任技術者は、現場取材に対して次のように打ち明けています。
「『ステンレスだから大丈夫』とタカをくくっていた配管が、わずか数年で針で突いたような穴が空いて塩酸ガスが漏洩した事故がありました。原因は、不動態の天敵である塩化物イオン(Cl⁻)による『孔食(こうしょく・ピッティング)』でした。不動態皮膜は一様に見えても、微細な欠陥部分から塩素イオンが侵入すると、その局所だけ皮膜の再生が追いつかず、内部へと垂直に猛烈なスピードで腐食が進行します」
SNSや知恵袋などの技術系コミュニティでも、「海岸沿いに設置したSUS304の看板が半年で赤サビだらけになった」「ステンレス製の水筒にスポーツドリンクや塩素系漂白剤を入れていたら底に穴が空きかけた」といったトラブルの報告が日常的に寄せられています。海水や塩分に含まれる塩化物イオンは、不動態皮膜を構成する金属・酸素の結合を破壊する極めて強い浸食力を持っています。不動態は万能のバリアではなく、「酸素の供給」と「過酷なハロゲンイオンの不在」という特定のバランスの上に成り立つ、極めて繊細な動的平衡状態なのです。