日比谷の司令部が果たした役割は、単なる行政上の統括にとどまらない。旧陸軍省本館(市ヶ谷)で開かれた極東国際軍事裁判(東京裁判)の動向を監視し、その報道姿勢や世論の形成に至るまで厳重なコントロール下に置いた。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の中に設置された民間検閲支局(CCD)は、新聞、雑誌、ラジオ、映画に至るまで広範な検閲を実施した。
特に日本の映像・出版メディア産業に対する影響力は絶大だった。軍国主義的とみなされた表現の排除はもちろん、占領軍への批判や原子爆弾被害に関する言及も固く禁じられた。言論の自由を掲げながらも、強固な検閲体制を敷いたこの二重構造こそが、戦後日本のメディア空間の原点を作り上げたと言える。