Q1:絵島と生島新五郎は本当に肉体関係(密通)を持っていたのですか?
A1:同時代の公的記録や取り調べの資料を見る限り、決定的な密通の証拠はありません。絵島自身も最後まで否定しており、後世の創作や、月光院派を失脚させるための政治的言いがかり(濡れ衣)であった可能性が高いと考えられています。
Q2:絵島生島事件の「真の黒幕」は誰だったのですか?
A2:公式な黒幕の記録はありませんが、当時の政治情勢から、月光院・間部詮房・新井白石の専横を快く思っていなかった天英院派(正室派)の譜代大名や門閥派が背後で糸を引いていたとみる説が有力です。この事件を機に正室派が勢力を盛り返し、後の徳川吉宗擁立へと繋がりました。
Q3:生島新五郎は三宅島に流された後、どうなったのですか?
A3:生島新五郎は三宅島へ遠島となった後、島民に読み書きや歌舞伎の所作を教えながら約28年間の流刑生活を送りました。徳川吉宗の治世末期(寛保2年/1742年)に赦免されて江戸に戻り、翌年に約73歳で波乱の生涯を閉じたとされています。