Q1:柳川組が「殺しの軍団」と呼ばれた最大の理由は何ですか?
A1:明友会事件をはじめとする抗争において、少人数でありながら敵の本拠地へ迷わず突入する圧倒的な攻撃力と、任務を完遂するまで絶対に引かない軍隊並みの鉄の規律を持っていたためです。警察当局や対立組織がその報復の苛烈さを恐れて名付けました。
Q2:なぜ絶頂期にあった組織を電撃解散させたのですか?
A2:警察の「第一次頂上作戦」による壊滅的な集中捜査を受ける中、服役中だった柳川次郎初代と谷川康太郎が「これ以上組織を続ければ若い組員たちの人生を奪い続けることになる」と判断し、組員たちの将来を守るために独断で解散届を提出したのが真相です。
Q3:初代組長・柳川次郎は解散後、どのような活動をしていましたか?
A3:裏社会から完全に身を引き、実業家として活動する傍ら、日本国際ボクシング連盟(IBF日本)の創設や日韓親善のための民間外交、青少年の育成支援など、幅広い社会貢献活動に尽力しました。
Q4:現在の裏社会に柳川組の後継組織は存在しますか?
A4:1969年の解散宣言によって柳川組という組織は完全に消滅しました。一部の元組員が立ち上げた二次団体や移籍先組織は存在しましたが、その後の再編や現代の法規制(暴力団排除条例等)により、柳川組直系の独立した勢力は現在残っていません。