インターネット上の言説や一部の解説では、「『花束を君に』は朝ドラのために書き下ろされた明るい家族ソングであり、藤圭子への追悼は後付けに過ぎない」といった短絡的な見解が見受けられることがあります。しかし、これは楽曲の本質を見誤った誤解と言わざるを得ません。
宇多田ヒカル本人が当時の特番インタビューや手記で語っている通り、彼女はこの時期、母の死という巨大なトラウマによって創作活動そのものを封じられていました。朝ドラのオファーを引き受けたのは、締め切りやタイアップという強い外圧がなければ、母への感情を作品として定着させる恐怖に打ち勝てなかったからにほかなりません。
つまり、本作は「朝ドラのための形式的な応援歌」ではなく、「朝ドラという開かれた舞台を借りることで初めて完成させることができた、極めてプライベートな祈りの結晶」なのです。表面的な耳触りの良さだけに囚われると、背後に流れる激しい葛藤や、命を削るようにして紡がれた言葉の重層性を見落としてしまいます。