高台院(おね)が没した京都・高台寺や圓徳院周辺には、今も豊臣の残り香が漂う。彼女は秀吉の死後、徳川家康と対峙しつつも一族の生き残りをかけて裏で奔走した。彼女の深い政治的配慮があったからこそ、木下家は豊臣の親族でありながら外様大名として藩を維持できたのである。
岡山市にある旧足守藩主木下家の陣屋跡周辺では、一族の遺品や古文書が大切に保管されてきた。そこには、天下人の血を引く者としての誇りと、それを隠し通さねばならなかった苦渋の歴史が刻まれている。子孫たちの多くは毎年、法要の時期になると京都や岡山のゆかりの寺院を訪れ、静かに先祖へ手を合わせているという。