玉の海の死は、同時代を切磋琢磨した最大のライバルであり無二の親友でもあった第52代横綱・北の富士勝昭に、言葉では言い尽くせないほどの深い精神的打撃を与えました。二人は同期生であり、同時期に大関・横綱へと昇進。「北玉時代」と呼ばれた華やかな黄金期を築き、土俵上では激しい火花を散らしながらも、土俵を降りれば互いを深く認め合う無二の友でした。
玉の海にとって本場所における生涯最後の取組となったのは、1971年9月26日、秋場所千秋楽の北の富士戦でした。この大一番で玉の海は北の富士を寄り倒しで破り、万全ではない身体で意地を見せつけました。
盟友の訃報を聞いた北の富士は病院へ駆けつけ、変わり果てた玉の海の遺体に取りすがり「なぜ俺を置いて逝ってしまったのか」と号泣。後年の回顧録でも「玉の海が生きていれば、自分ももっと長く横綱を務められたはずだ」と語るなど、その早すぎる死を生涯にわたって悼み続けました。