数ある名門の中で、なぜ「成田屋」だけが別格の扱いを受け、歌舞伎界の頂点・筆頭として君臨し続けているのでしょうか。そこには揺るぎない3つの歴史的理由があります。
1. 江戸歌舞伎の真髄「荒事(あらごと)」の創始者
初代市川團十郎は、延宝元年(1673年)に全身に隈取を施し、超人的な力で悪を懲らしめる勇壮な演技様式「荒事」を考案しました。上方の上品で艶っぽい「和事(わごと)」に対し、荒事は江戸っ子の熱狂的な支持を集め、江戸歌舞伎の象徴となったのです。
2. 不動明王の化身としての絶大な信仰
初代團十郎の父が成田山新勝寺(千葉県成田市)に祈願して團十郎を授かった縁から、初代は成田不動尊を深く信仰し、屋号を「成田屋」と定めました。舞台上で團十郎が睨みを利かせると「無病息災」「厄除け」のご利益があると信じられ、単なる役者を超えた霊的・象徴的な存在として崇められてきました。
3. 歌舞伎十八番の制定と興行の牽引
七代目市川團十郎が天保年間に制定した『助六』『勧進帳』『暫(しばらく)』などの「歌舞伎十八番」は、市川家のお家芸として歌舞伎の代表的演目となり、現代に至るまで劇場の興行成績を支える柱となっています。歌舞伎の歴史そのものを創り上げてきた功績こそが、成田屋を筆頭たらしめる最大の根拠です。