江戸無血開城の後、静岡(駿府)の宝台院で謹慎生活に入った慶喜は、約30年間にわたり政治の表舞台から完全に姿を消しました。新政府に対して「二心(謀反の気)がないこと」を証明するためでもありましたが、その隠棲生活は驚くほど多趣味で自由奔放なものでした。
特に情熱を注いだのが、当時最先端のテクノロジーであった写真撮影です。愛用の大型カメラを携えて静岡の風景や庶民の姿、自画像を精力的に撮影し、写真専門誌に匿名で投稿して入選を果たした記録も残っています。
さらに狩猟、サイクリング、油絵、投網、囲碁、弓道など、あらゆる分野に徹底してこだわり抜く性格でした。好物は豚肉で、当時としては珍しく肉食を好んだことから周囲から「豚一様(ぶたいちさま)」とあだ名されたユニークな逸話もあります。
1898年(明治31年)には明治天皇への拝謁を果たして完全に名誉を回復し、1902年には公爵を授爵。1913年(大正2年)11月22日、急性肺炎(感冒の併発)のため享年77(満76歳)で息を引き取りました。歴代の徳川15人の将軍の中で、最も長寿を全うした生涯でした。