1980年代のバブル経済期、日本のデザイン界は国際的な注目を集めた。倉俣史朗、喜多俊之、内田繁といったデザイナーたちが世界的評価を得た。だが創工社の名前は、こうした華やかな舞台にはほとんど登場しなかった。
組織としての創工社は、表舞台から退いていた。しかしその理念と手法は、多くの地域プロジェクトに受け継がれていた。燕三条の金属加工、高岡の鋳物、今治のタオルなど、地場産業のブランディングと製品開発に、創工社的アプローチが活用されていたのだ。
平成不況の到来は、日本の製造業全体を直撃した。コスト削減が至上命題となり、デザインや品質への投資は削られた。創工社の活動も縮小を余儀なくされた。記録は散逸し、関係者は高齢化した。組織としての実態は次第に不明瞭になっていった。