戦前の日本において、三井財閥は金融・貿易・鉱山・化学・造船などあらゆる基幹産業を網羅し、日本最大の民間資本グループとして君臨していました。持株会社である「三井本社」が全事業会社の株式を一手に握り、三井家11家がその本社の全株式を保有するという強固なピラミッド型支配を完成させていたのです。
しかし、1945年の太平洋戦争敗戦により状況は一変します。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、財閥が軍国主義の温床となり日本の侵略戦争を経済面から支えたとみなし、「財閥解体」を最優先課題として断行しました。三大財閥の中でも、三井は特に解体の標的として厳しく追及を受けることになります。
解体のプロセスは徹底的でした。三井本社は解散を命じられ、三井財閥の保有資産(巨額の株式や債権)は持株会社整理委員会に強制的に接収された上で一般市場へ放出。三井家一族の個人資産にも最高税率90%を超える過酷な財産税が課され、一族の経済的基盤は事実上解体されました。さらに、商社機能の中核であった三井物産は200社以上の小規模企業へと強制分割され、グループ企業間の「三井」の商号使用やロゴマークの使用すら一時的に禁止される事態へと追い込まれました。