生田斗真が歌の才能に恵まれながらも「CDデビュー」という形をとらなかった背景には、ジャニーズJr.黄金期における大きな転機とアイデンティティの葛藤がありました。
2002年、生田斗真は山下智久、風間俊介、長谷川純とともに伝説的ユニット「Four Tops」を結成し、Jr.のリーダー格として絶大な人気を誇っていました。当時、ファンの間ではこの4人でのCDデビューが確実視されていたのです。しかし2003年、山下智久を中心とした新グループ「NEWS」が結成され、Four Topsは事実上の自然消滅となりました。
当時のインタビューやドキュメンタリーにおいて、生田斗真は「仲間がデビューしていく中で取り残された悔しさ」「自分の居場所を見失いかけた苦悩」を赤裸々に吐露しています。グループとしてのCDデビューの道が絶たれた瞬間、彼は「自分は歌や踊りではなく、芝居で勝負して生き残るしかない」という不退転の決意を固めました。
当時の芸能界において「グループに所属せずCDも出さないジャニーズタレント」が俳優として成功した前例は皆無でした。生田斗真はあえてCDデビューを追わず、小劇場から大劇場まで泥臭く舞台に立ち続けることで、唯一無二の「俳優・生田斗真」という道を自ら切り拓いたのです。